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あまかざり
尼巌山(長野市松代)790.8M
2010年12月15日

菅平高原を8:300出発、12月半ばにしては穏やかな日和の中9:45頃尼巌山に登り始める。
初めは目印もちゃんとしていたが、登り始めて10分程の所で目印も当然ルートも分からなくなる。
近く伐採作業中の方に道を教えてもらう。多分本来登る予定の道とは違うルートで登り始める。
尼巌山山頂に着いたのはお昼少し前。山城だった時期もあり、途中ロープを頼る所も数か所あった。
下りは「玉依比売神社」横の池田の宮登山口に降りた。
こちらから尼巌山に登るほうが分かりやすかったかもしれない。

もうすぐ尼巌山山頂 尼巌山山頂780、9m
最後の少しきつい道を登りきると尼巌山山頂に出る。


尼巌山山頂は眺望が良い分風が強く、
少し下がった陰で昼食をとる

 尼巌城跡の解説   伝承によれば、尼巌城(別名東条城)は、鎌倉時代以前から築城
されていた難攻不落の山城である。周りの霞城、金井山城、寺尾
城はその支城と伝えられている。
弘治二年(1556)、武田信玄は真田幸隆に尼巌城の攻略を命じ
た。城主の東条氏はよくこれに抗したが、高坂弾正らの武田軍の
加勢により、ついに城は落城し、東条氏は越後の上杉謙信の元へ
逃れた。
その後、城は信玄の姪のより改築され、永禄三年(1560)頃、山
本勘助によりか海津城(松代城の原形)が完成すると、防衛的な山
城として重要視された。天正十年(1582)、武田勝頼が織田信長
との天目山の戦いに敗れ、武田氏が衰退すると、上杉景勝らの援
護のもとに、着た信濃の諸将は旧地を回復し、上杉家臣となってい
た東条信広も尼巌城将として復帰した。
慶長三年(1598)、上杉景勝が会津百二十万石に移封され、これ
にともなって東条氏ら川中島の将士達も会津へ移ったため、尼巌城
は四百年以上の山城の歴史に幕を閉じ廃城となった。
現在も急峻な山頂一帯に、長い風雪に耐えた本郭、越郭、堀切など
の一部が残っている。 
尼巌城の歴史

尼巌山山頂三角点 尼巌山山頂からの眺望 
尼巌山山頂の三角点

尼巌山山頂からの眺望、千曲川を望む

下山途中の石碑の前 下山途中の石碑の前で 
下山途中の石碑の前で記念写真

今回の登山参加者は3名

池田の宮登山口 玉依比売神社
「玉依比売神社」の横にある池田の宮登山口 玉依比売神社(たまよりひめのみこと)


登山後に利用した温泉   大室温泉牧場の湯



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